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広島高等裁判所 昭和50年(う)254号 判決

本籍

愛媛県周桑郡壬生川町大字吉田三三九番地

住居

広島県呉市西中央四丁目三の五

会社代表取締役

日野義行

大正一一年二月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五〇年九月二六日広島地方裁判所が言い渡した有罪の判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月及び罰金五〇〇万円に処する。

被告人において右罰金を完納することができないときは金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。但しこの裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人泰野楠雄、同馬場照男、同河合浩各作成名義の各控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は広島高等検察庁検察官検事稲垣久一郎作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して当裁判所は次のとおり判断する。

弁護人らの控訴趣意(弁護人馬場照男、同河合浩の量刑不当の主張を除く)は事実誤認ないし理由不備の主張であつて、各所論はいずれも被告人の所得から控除すべきものを被告人の所得として認定計上した原判決は事実を誤認し、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、かつ理由不備の違法があるという。

しかし、原判決挙示の関係各証拠によれば後記(四)の(2)に関する部分を除いて原判示の事実を優に肯認することができ、事実認定や理由不備の違法は存しない。以下順次補足的に判断を加える。

(一)、弁護人泰野楠雄の控訴趣意二、弁護人馬場照男の控訴趣意第一の一、弁護人河合浩の控訴趣意第一の二の1(昭和四〇年度持込現金七〇〇万円)について。

所論は、要するに本件オアシスパチンコ店の先代経営者であつた日野市子(以下単に市子という)が、同店を開業する際あるいはその後の経営資金として多額の出資を受けていた同女の伯父で愛媛県松山市に居住する日野喜助に対し、自己が存命中に右の負債を清算したいと考え、昭和三九年一二月初旬ころ現金七〇〇万円を風呂敷に包んで携行し日野喜助宅を訪ね、その旨申し入れたが、結局現金は受け取られず同月一五日ころ帰宅した際被告人の妻日野八重子(以下単に八重子という)に右の現金七〇〇万円入りの風呂敷包を預けたまま同月一七日右市子は死亡した。八重子は市子から預つてそのまま金庫に入れていた右の風呂敷包を開いて調べたところ、現金七〇〇万円であることを確認したがこれをその後も金庫や箪笥に保管し、翌昭和四〇年に入つてから小分けして銀行に預け入れた。従つて右の現金七〇〇万円は昭和四〇年度の持込現金であるから、同年度の所得計算から控除すべきものであるというに帰着する。

被告人の原審及び当審各公判における供述、原審証人日野八重子の各証言、日野八重子の検察官に対する昭和四四年四月一〇日付供述調書、原審証人日野喜助の証人尋問調書は所論に副うものであるが、本件七〇〇万円の持込現金に関しては査察開始後数ケ月にわたる捜査期間中に被告人側から全く主張されず、本件起訴後の前記日野八重子の検察官に対する昭和四四年四月一〇日付供述調書においてはじめてあらわれた事柄でありこのことじたい不自然である。被告人の原審及び当審各公判における供述、原審証人日野八重子の証言が本件持込現金に関し捜査期間中に申立をしなかつた理由について説明するところは甚だ曖味である。この点に関する各供述じたい及び被告人と八重子との供述相互間にも予盾があり、殊に公判における各供述は金額その他の状況につき極めて正確に述べているが、前記八重子の検察官に対する供述調書中には現金六〇〇万円位と曖味な供述になつていて、いずれもたやすく信を措き難く、この点に関する日野八重子の前記検察官に対する供述調書、証人日野喜助の証人尋問調書も信用するに足りない。一方昭和三九年一二月初旬ころ、市子が七〇〇万円という多額の現金を準備したというのに、原判決挙示にかかる各銀行の元帳写その他関係各証拠を検討してみても、当時これにみあう現金が銀行から引さ出された形跡は全く認められず、また右の諸証拠から窺われる当時における市子の銀行取引の実情からして、市子が現金七〇〇万円を手持ちしていたとも考えられない。広島銀行呉支店作成の照会事項に関し回答の件と題する書面、住友銀行呉支店長村山善三郎作成の昭和四三年一二月三日付証明書その他の関係各証拠によれば昭和三九年一二月二九日被告人から日野喜助宛金二〇〇万円が広島銀行呉支店扱いで銀行送金されているが、この資金は住友銀行呉支店に対する被告人の偽名預金などから引き出してこれに充てたものと窺われる。翌昭和四〇年三月ころ、被告人から日野喜助に対し三回に分けて合計一、五〇〇万円が送金されているが、この資金もうち七〇〇万円は住友銀行呉支店より借り入れ、その余の八〇〇万円は同銀行の偽名預金を引き出すなどしてこれに充てていることが関係各証拠により明らかである。

以上の諸事情を併せ考えると、昭和三九年末において、翌年度に持ち越すべき現金七〇〇万円を被告人ないし八重子が手持ちしていたとは到底認められない。これと同趣旨に出でた原判決の事実認定は相当である。

(二)、弁護人馬場照男の控訴趣意第一の二、弁護人河合浩の控訴趣意第一の二の2(昭和四〇年度持込定期預金)について。

所論は、阿賀信用金庫に対する偽名定期預金堤清子名義、金額三〇万円(39・1・27預入)、山田英子名義、金額三〇万円(39・2・1預入)、原弥生名義、金額二〇万円(39・3・4預入)はいずれも亡市子の偽名定期預金であつたが、同人の死亡後これを承継し、昭和四〇年二月中これも解約し払戻しを受けたものであるから、右の定期預金合計八〇万円及びその預金利息は前年度から昭和四〇年に持込んだものとして、同年度の資産の算定にあたつて、これを控除すべきであるという。

そこで、記録を調査して検討するには、原審証人久保勝則の証言、原判決挙示の同人作成の昭和四三年八月二日付上申書、高橋盛繁、友清政子、田中久美子、岡田静子、浜崎梅乃名義の各定期預金元帳謄本、原審において取調べた堤清子、山田英子、原弥生名義の各定期預金元帳謄本、手形貸付金元帳(原弥生)謄本を総合すると、阿賀信用金庫の職員である久保勝則が本件脱税の調査にあたり、査察官に協力して資料に基ずき調査したうえ前記上申書を作成提出したが、調査終了後被告人からの強い要望により、上司の許可を得たうえ再調査し、使用氏名や使用印鑑の同一性から判断して被告人に帰属するものと認めた高橋盛繁ほか四名名義の計五口の定期預金(原審が被告人のものと認めた分)と使用氏名や使用印鑑は他に同一のものはないけれども、被告人のものではないかと考えた本件堤清子、山田英子、原弥生名義の三口を拾い上げたことが認められる。しかし久保勝則の前記証言は本件三口のものに関しては証言じたい甚だ曖味であり、むしろ被告人から、昭和四〇年二月下旬ごろ解約したものでもう二〇〇万円ほどお宅に預けていた金があるから調べてくれと依頼され、前記の被告人のものであると認められる五口のほか、そのころ解約となつたもののうち帰属不明のもの三口を拾い上げたに過ぎないと認められる。もつとも、原審証人正力久幸の証言(第七回公判)、原審で取調べた同人作成の訪門日誌写、同じく日野八重子作成の証明願と題する書面によれば、当時住友銀行呉支店に得意先係として勤務していた正力久幸は、昭和四〇年二月二五日阿賀信用金庫を訪ね、被告人が引き出した現金二〇〇万円を持ち帰り、同日付で住友銀行呉支店に同額の偽名による通知預金をしていることが認められる。しかし本件三口の定期預金のうち山田英子名義のものは同月二六日解約になつていることは前記定期預金元帳写から明らかであり、また原判決挙示の阿賀信用金庫理事長野島佐一郎作成の証明書添付の定期預金元帳写によれば被告人の偽名定期預金で同年二月一九日から二四日迄の間に井手元寿名義ほか五口金額合計一七〇万円のものが解約されているのであつて、前記の事実も本件三口の偽名定期預金が被告人に帰属することの理由たり得ないばかりでなく、却つてこれらの事実は被告人の主張の予盾を露呈するものである。いずれにしても本件三口の偽名定期預金が被告人に帰属するものと認めるに足る証拠は全く存在しない。この点に関する原判決の認定は相当である。

(三)、弁護人泰野楠雄の控訴趣意三、弁護人馬場照男の控訴趣意第一の三、弁護人河合浩の控訴趣意第一の二の3(昭和四二年度店主勘定科目宝石)について。

所論は、要するに原判決が昭和四二年中に簿外資金一三〇万円により購入したとする宝石等は、八重子が母市子の所有であつたものをその生存中貰い受けあるいは市子死亡後取得したもので、被告人が購入したものではないにもかかわらず、原判決が被告人が購入したものと認定し、右一三〇万円を同年度の所得として計上したのは不当であるというにある。

よつて検討するに、被告人の原審及び当審各公判における供述、原審証人日野八重子の各証言は所論に副うものであるが、これらはそれじたい予盾し、たやすく信用することはできず、被告人の大蔵事務官に対する昭和四三年一〇月一九日付質問顛末書によると被告人は昭和四二年六月ころ、オパールプラチナ台指輪一個、パールプラチナ台指輪三個、パールネツクレス一個合計五点を自宅に来た外交員らしい者から代金合計一三〇万円で購入したと供述している。この点につき被告人は木島査察官から使途不明金について長時間にわたり厳しく追及され、やむを得ず査察官に迎合して述べたものであり、後に妻からあれは母から貰つたものであると強く責められたというのである。しかし前記質問顛末書の記載内容じたいからみて無理に供述させられたものとは到底考えられず、しかもその後の取調べにおいて供述を訂正した形跡もなく、また八重子もその後の査察官の取調べに際して右の点に関して申立てをしたことは全く窺えない。これらの諸事情を総合すると、前記質問顛未書は信用するに足る。なお、被告人の当審公判における供述によれば、本件五点の宝石類を専門家に鑑定させたところ、全部で六二万円(小売価格)である旨の鑑定結果を得たというけれども、原判決挙示の金光由雄(貴金属、宝石小売商)作成の上申書によると、右五点の指輪等の当時の小売価格は合計一三〇万円と評価されていることが認められ、いわゆる専門家においてさえ評価は右のような差異がある。してみると宝石という特殊な品物で、しかもいわゆる外交員から購入したのであれば、なおさら事実上の小売価格に相当の開きがあることも首肯し得る。ちなみに、被告人は宝石等には全く関知せず、捜査当時供述しているひつじやで購入したエメラルドの指輪に関しても、捜索の結果発見された保証書を根拠にして誘導ないし押しつけの上自白させられたものであるというけれども、弁護人らの在廷する原審第三回公判において、ひつじやの保証書二枚(証二号)を示されて、「はい、二枚とも妻のために私がひつじやサロンで買つたエメラルドの保証書です。」と明確に供述している。結局、被告人が昭和四二年六月ころ、自宅に来た外交員らしい者から本件五点の指輪等を代金合計一三〇万円で購入したものと認められ、これと同趣旨に出でた原判決の事実認定は相当である。

(四)、弁護人馬場照男の控訴趣意第一の四、弁護人河合浩の控訴趣意第一の二の4(昭和四〇年度の架空支払)について。

所論は、昭和四〇年四月二八日永野昇に対する小切手による支払い一〇〇万円については、同人に支払つたように装つて、表勘定である八重子の当座預金から払出しを受け、これを偽名の普通預金に預け入れることにより裏勘定に廻したものであり、同年一二月三〇日大木与一に対する借入金五〇万円の支払いは、従前から総勘定元帳の借入金口座に大木与一からの借入金として五〇万円とあり、これは実質上存在しないものであつたので、昭和四〇年末帳簿上の処理として右のように記載したもので、いずれも架空支払いであるから、同年度の所得額から控除すべきものであるというにある。

(1)  まず、永野昇に対する小切手による支払い一〇〇万円について検討するに、昭和四〇年四月二八日振出、額面一〇〇万円の小切手が、裏面に永野昇の記名、押印がなされ、同月三〇日支払いがなされていることは関係各証拠により明らかである。原審証人日野八重子の証言は所論に副うものであり、原審証人永野昇(第二四回公判)、同正力久幸(第二三回公判)の各証言も所論に副うかに見える部分があるが、右八重子の証言はその内容じたいたやすく信用し難いものであり、右の点に関する同人の原審第二八回公判における証言は殊に予盾に充ち、かつ曖味不自然である。(原審記録二〇七八丁から二〇八一丁参照)原審証人永野昇にいたつては証言全体を通じてみても全く一貫性がなく、質問者によりその都度供述が変転し、到底信用することができない。原審証人正力久幸の前記証言も曖味であり、かつ原判決挙示の住友銀行呉支店村山善三郎作成にかかる昭和四三年一二月三日付証明書添付の普通預金元帳謄本に照らすとにわかに信用し難い。以上のとおりで、結局所論主張の事実を認めるに足る証拠はなく、却つて本件小切手の記載その他関係各証拠を総合すると永野昇に対する本件小切手による一〇〇万円は架空支払いではないと認めるのが相当である。

(2)  大木与一に対する五〇万円の借入金支払いについては、被告人の大蔵事務官に対する昭和四三年一二月五日付質問顛末書、及び検察官に対する供述調書に所論に副う記載があり、原判決挙示の昭和四〇年度総勘定元帳(証二三号)によれば、大木名義の借入金を年末に売上勘定に振替え、従来の架空借入金を整理していることが認められ、かつ原判決挙示の関係各証拠より認められる大木与一と市子ないし被告人との関係からして、大木から借金するとは考えられないことなどの諸事情を総合すると、従前の総勘定元帳の借入金口座に記載されるに至つた経緯は不詳であるが、事実上存在しない大木与一からの借入金五〇万円の帳簿の記載を整理するための操作としてなされたものと認めるのが相当であり、従つて、架空借入金の消却に伴う損益修正利益五〇万円は所得計算から控除すべきである。この点に関する論旨は理由がある。

(五)、弁護人馬場照男の控訴趣意第一の五、弁護人河合浩の控訴趣意第一の二の4(昭和四〇年度自宅建築費)について。

所論は、昭和四〇年度の所得に関し、自宅建築費として計上されている永野昇に対する左官工事代八〇万円、藤野木材店に対する材木代金一四万五〇〇円のうち八万八、九九九円、上垣邦夫に対する冷房用ポンプ取付工事代一七万五、〇〇〇円のうち一六万二、四六八円、松谷一郎に対するブリキ工事代二万五、〇三〇円合計一〇七万七、四九七円は、いずれも自宅建築費ではなく、オアシス中通り店の改装工事に関する費用であるから、自宅建築費の簿外支出金には該当せず、右金額には同年度の所得計算から控除されるべきであるにかかわらず、これらを自宅建築費と認定し、所得に計上した原判決の認定は不当であるというにある。

よつて、記録ならびに証拠物を調査して検討するに、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、いわゆる古川町所在の被告人自宅の建築は昭和三九年夏の終りないし初秋ころ始められ、昭和四〇年四月初ころまでに完成したことが認められる。所論は右建物が完成し、被告人らが移転したのは同年の節句(四月三日)前であり、転宅前に大木与一に対する一〇万円の報酬金のほか極く一部を除き、自宅建築費はすべて支払い済みであつたとし、被告人の原審及び当審各公判における供述、原審証人大木与一(二回)、同永野昇(第九回公判分の一部)の各証言はこれに副うものであるが、右被告人の各供述及び永野昇の証言の一部は後記の証拠に照らしたやすく信用し難い。原審証人大木与一の各証言も証言じたい予盾したり、曖味であつて到底信用することはできない。却つて、原判決挙示の売掛帳(証四一号)、現金出納帳(証四二号)、請求書綴(証四三号)によれば、被告人方自宅建築費に関し、昭和四〇年四月以降に支払われたものがあることは明らかであり、右の各証拠と、被告人の大蔵事務官に対する各質問顛末書原審証人永野昇の供述部分、同上垣邦夫、同松谷政子の各証言、平岡孝男作成の証明書、藤野茂作成の上申書を総合すると、永野昇ほか三名に支払われた前記金員はいずれも被告人方自宅建築費として支払われたものと認めるに十分である。

(六)  弁護人泰野楠雄の控訴趣意四、弁護人馬場照男の控訴趣意第一の七、弁護人河合浩の控訴趣意第一の一の4(昭和四二年度店主勘定科目観音竹-東海錦)について。

所論は、被告人は昭和四二年六月ころ大可義幸らから観音竹(東海錦)を七二〇万円で購入した事実はないにもかかわらず、原判決が右東海錦を被告人が購入したとして、金七二〇万円の簿外支出を認定し、これを同年度の所得に計上したのは不当であるというにある。

しかし、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、被告人が昭和四二年夏ころ、大可義幸らから多賀弘を介し観音竹東海錦一鉢を七二〇万円で購入した事実は優にこれを肯認することができる。被告人は捜査当初より公判を通じ一貫してこの点を否認しているけれども、原審証人大可義幸、同矢田部英輔、多賀弘の各証言を総合すると、大可義幸、矢田部英輔が共同所有していた観音竹東海錦一鉢を多賀弘の仲介で昭和四二年夏ころ、被告人に七二〇万円で売却したことが認められる。なる程、右証人らの証言の一部には曖味な点もあるけれども、右各証言から認められる大可義幸、矢田部英輔が本件東海錦を共同所有するに至つた事情、大可義幸の右購入費の資金源、同人らが多賀弘から受領した金員には呉市内の銀行の帯封があつたこと、当時被告人が相当高額の観葉植物を扱い多賀弘などの上得竟であつたこと、戸田別館での話し合いにそれまで被告人と全く面識のなかつた大可義幸が同道していること、前記証人多賀弘が被告人の在廷する法廷で被告人に七二〇万円で売却した旨明言していることなどを併せ考慮すると前記の事実を肯認することができる。これらに徴してみると被告人のこの点に関する原審の供述、大蔵事務官に対する各質問顛末書は措信できない。そして右金額は捜査当時被告人において説明し得なかつた昭和四二年六月ころ銀行から引き出した金員中の使途不明金額とも概ね符合することも右の事実を裏付ける。

なお、所論は前記使途不明金については、昭和四二年六月ないし七月ころ、被告人の実兄北川玉一に二〇〇万円、被告人の友人山岡万吉に五〇〇万円をそれぞれ貸付け、羽黒製機株式会社にオアシスパチンコ店のパチンコ玉の自動補給装置の設置工事を請負わせ、その契約金として二〇〇万円を支払つたもので、これが右の使途不明金といわれるものに該当するというのである。しかし、北川玉一に対する二〇〇万円の貸付けが同年二月ころであることは、原判決挙示の北川玉一の大蔵事務官に対する質問顛末書(43・11・29付)により明らかである。これに反する原審証人北川玉一の証言はその内容じたいに照らしたやすく信用できない。

山岡万吉に対する五〇〇万円の貸金及び羽黒製機株式会社に対する契約金二〇〇万円については、捜査当時全く主張されず、公判もかなり進んだ段階で始めて供述するに至つたものであるが、被告人の大蔵事務官に対する各質問顛末書の記載じたいから窺われる通り、調査段階において前記使途不明金に関しては繰返し追及されているにもかかわらず、数ケ月にわたる長期間右のような五〇〇万円ないし二〇〇万円という金額の使途が思い出せなかつたということじたい不自然である。原審証人山岡万吉の証言は所論に副うものであるが、その内容を仔細に検討すると被告人の原審公判における供述と金員を貸借するに至つた経緯や状況について重要な点においてくい違いがあり信用できない。原審証人大下太郎(本件当時羽黒製機株式会社常務取締役)の証言は日時や金額についての具体的記憶はないとし、当時の一般的取引の状況からする推測的供述に終始し、積極的に前記契約金の受領が昭和四二年六月ないし七月ころであつたと認める資料とはなし難いのみならず、原判決の挙示する昭和四二年オアシス遊技場の総勘定元帳(証一五号)の記載に照らしてみても被告人が述べるところは到底首肯し難い。結局前記使途不明金に関する所論のいう前記各事実はいずれもこれを認めるに足る的確な証拠は存在しない。

(七)、弁護人馬場照男の控訴趣意第一の六(昭和四二年度店主勘定科目蘭-愛国、鶴の華)について。

所論は、被告人が昭和四二年四月購入した愛国蘭一鉢の買入れ価格は一万円であり、同年六月購入した鶴の華蘭一鉢三三〇万円についてはその際他の鶴の華蘭を一五〇万円で下取りに出したので現金支払い額は一八〇万円であつたにもかかわらず、原判決は右愛国蘭の価格は一〇万円であり、鶴の華蘭購入の際下取りに出した他の鶴の華蘭の価格は一三〇万円で現金支払い額は二〇〇万円であると認定しているが、これは事実を誤認したもので、愛国蘭につき右の差額九万円、鶴の華蘭につき右の現金支払い額の差額二〇万円合計二九万円については簿外支出はないので同年度の所得額から控除されるべきであるというにある。

よつて検討するに、まず愛国蘭一鉢の価格については原判決挙示の保岡栄の大蔵事務官に対する質問顛末書及び原審証人多賀弘の証言、大蔵事務官作成の写真撮影報告書を総合し、一〇万円であつたことを認めるに十分であり、これに反する被告人の原審公判における供述及び大蔵事務官に対する質問顛末書は信用できない。次に鶴の華蘭購入の際下取りに出した他の鶴の華蘭の下取り価格が一五〇万円であつたことは所論指摘のとおりであるが、原判決添付の別表修正貸借対照表〔Ⅲ〕(昭和四二年分)の記載から明らかなとおり、右の差額二〇万円については雑所得(らん売却益)として計上処理されており、同年度の所得の計算上問題となる点はない。

叙上説示したとおり、大木与一に対する五〇万円の架空支払いに関する論旨は理由があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、結局原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由があるに帰する。

以上のとおり、原判決には事実誤認の違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるので、弁護人らの量刑不当の論旨に対する判断は後に自判する際に譲ることとし、刑事訴訟法第三九七条、第三八二条により原判決を破棄したうえ、同法第四〇〇条但書に従い当裁判所において更に自ら被告事件について判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、肩書住居地(当時の住居表示は呉市古川町二七番地)に居住し、同市中通り六丁目一二番地ほか二か所に店舗を設けてパチンコ、スマートボールの遊技場「オアシス」を経営していたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、架空名義の銀行預金を設定し、土地建物の取得価格を圧縮し、もしくは簿外で高級観葉植物を取得するなどの不正な方法により所得を秘匿したうえ、

第一、昭和四〇年度分の所得金額は別紙(一)修正貸借対照表(1)記載のとおり、二、一六四万七、〇〇五円(事業所得二、一六二万〇、七〇五円及び雑所得二万六、三〇〇円)であり、これに対する所得税額は別紙(四)税額計算書記載のとおり一、〇三七万二、七四〇円であつたのにかかわらず、昭和四一年三月一〇日同市公園通り四丁目二番地所在の呉税務署において、同税務署長に対し、右年分の所得金額が一八一万七、八六二円これに対する所得税額が二七万六、六一〇円である旨虚偽の確定申告書を提出し、もつて右年分の正規の所得税額一、〇三七万二、七四〇円と右申告税額との差額一、〇〇九万六、一四〇円をほ脱し、

第二、昭和四一年分の所得金額は別紙(二)修正貸借対照表(2)記載のとおり、一、一四四万五、四七六円であり、これに対する所得税額は別紙(四)税額計算書記載のとおり四六一万四、四七〇円であつたのにかかわらず、昭和四二年三月一五日前記税務署において、同税務署長に対し、右年分の所得金額が三二一万五、〇〇八円、これに対する所得税額が六八万八、九六〇円である旨虚偽の確定申告書を提出し、もつて右年分の正規の所得税額四六一万四、四七〇円と右申告税額との差額三九二万五、五一〇円をほ脱し、

第三、昭和四二年分の所得金額は別紙(三)修正貸借対照表(3)記載のとおり、一、二四六万二、七一九円(事業所得一、五三七万六、六〇六円及び雑所得合計二一万〇、四〇〇円の総合計より譲渡損失三一二万四、二八七円を控除)であり、これに対する所得税額は別紙(四)税額計算書記載のとおり五一三万五、二五〇円であつたのにかかわらず、昭和四三年三月一五日前記税務署において、同税務署長に対し、右年分の所得金額が一五九万七、〇三六円、これに対する所得税額が一七万二、〇〇〇円である旨虚偽の確定申告書を提出し、もつて右年分の正規の所得税額五一三万五、二〇〇円と右申告税額との差額四九六万三、二〇〇円をほ脱したものである。

〔なお、原判決は(1)、昭和四〇年二月二二日払戻された阿賀信用金庫の高橋盛繁の金額三〇万円の定期預金ほか四口金額合計九〇万円の定期預金を被告人の偽名預金と認定したうえ、右元金合計九〇万円を同年度定期預金勘定に加算し、元金と同時に支払いを受けた利息合計五万一、三九〇円を同期の受取利息に加算しているが、原判決挙示の右高橋盛繁ほか四名名義の定期預金元帳謄本によれば、右利息受領に際して税金合計二、五六八円を差引かれていることが明らかであり、受取利息(店主借)としては右税金を控除した税引利息合計四万八、八二二円を計上するのが正当である。(別紙(五)参照)(2)原判決添付の修正貸借対照表〔Ⅱ〕及び〔Ⅲ〕の店主勘定科目生命保険料につき、昭和四一年度当期増減金額欄に八八万五、〇七五円、昭和四二年度の同欄に九五万六、九三五円とそれぞれ認定計上しているが、これは昭和四一年度分の八八万六、六七五円(後記証拠上は八八万七、五〇二円が正当な数額であるけれども、日本生命関係は当期増加分一、六〇〇円にみあう同額が次期において減少し、税額計算においてむしろ被告人に有利となるのに対し、第一生命分八二七円の増加分についてはこれにみあう減少分がなく、全体として起訴金額を上まわることになるから、第一生命関係の右八二七円は除外して計算し、全年度において起訴金額の範囲内となる前記の金額を認定した。)昭和四二年度分は九五万五、三三五円が正当な数額であることは原判決挙示の日本生命保険相互会社広島東支社長関口昇作成にかかる証明添付の月払原票、年半払収入原付内容、同じく第一生命保険相互会社広島支社長嵐大太郎作成にかかる取引内容の照会、回答の件と題する書面に添付された証明書、同じく平和生命保険株式会社広島支社長重岡吉雄作成にかかる保険払込状況について御回答と題する書面にそれぞれ記載された各年度における支払い金額の計数上明らかである。(別紙(六)参照)〕

(証拠の標目)

原判決挙示の証拠と同一であるからこれを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも所得税法第二三八条第一項に該当するので、情状により懲役刑及び罰金刑を併科することとし、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、懲役刑につき同法第四七条本文、第一〇条により犯情最も重い判示第一の罪につき定めた刑に法定の加重をした刑期範囲内で、罰金刑につき同法第四八条第二項により各罰金を合算した金額の範囲内で処断することとし、本件は判示三事業年度にわたつて、所得金額合計四、四五五万円余、その税額合計二、〇一二万円余であるにかかわらず判示のような方法により所得を蔭蔽する不正行為により総額一、八九八万円余に及ぶ多額の所得税をほ脱した事案であつて、このような本件犯罪の性質、動機、ほ脱金額、ほ脱率の高さその他記録から窺われる諸般の事情を併せ考えると被告人の責任は重いといわざるを得ないが、反面本件遊技場オアシスの経営の実権が被告人にあつたことは否定できないが経理に関しては主として妻八重子が当つていたこと、当初ほ脱を企図するに至つた動機、本件後三事業年度にわたる本税、重加算税、過少加算税、延滞税など合計三、四三四万円を完納していることなど被告人にとつて量刑上有利な事情も認められる。以上みてきた一切の事情を総合考慮し、右の刑期及び罰金額の範囲内で被告人を懲役六月及び罰金五〇〇万円に処し、同法第一八条により被告人において右罰金を完納できないときは金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、同法第二五条第一項に則り、この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

検事 稲垣久一郎 公判出席

(裁判長裁判官 宮脇辰雄 裁判官 野曽原秀尚 裁判官 岡田勝一郎)

別紙(一)

修正貸借対照表(1)

日野義行

昭和40年12月31日現在

別紙(二)

修正貸借対照表(2)

日野義行

昭和41年12月31日現在

別紙(三)

修正貸借対照表(3)

日野義行

昭和42年12月31日現在

税額計算書

別紙(五)

高橋盛繁名義ほか4口の偽名定期預金受取利息計算書

別紙(六)

生命保険料明細表

(注1) 支払保険料の昭和41年及び同42年欄の日本生命分中捧線で抹消した金額は41年度分保険料1,600円が誤つて42年分に計上されていた元の数字を示すものであり、計欄の抹消した数字もこれに関連した元の数字を示すものである。

(注2) 支払保険料の昭和41年欄の第一生命分は証拠上698,575円と認められるが、起訴額の限度において、697,748円として計上した。

○昭和五〇年(う)第二五四号

控訴趣意書

所得税法違反

被告人 日野義行

右被告人について控訴を申立てた理由は次のとおりである。

昭和五一年四月六日

右弁護人 馬場照男

広島高等裁判所

第一部 御中

第一、事実の誤認

原判決は以下の通り被告人の所得でないものを所得と認定した事実の誤認をなしているので破棄さるべきものである。

左記各項に記載の金額は原判決認定のそれぞれの年度の所得額より控除されるべきものである。

一、持込現金

昭和四〇年度分金七〇〇万円

(1) 本件パチンコ店の先代経営者である日野市子は昭和三九年一二月一七日死亡したが、その死亡時に所有しており死亡後被告人夫婦に相続承継された現金七〇〇万円は昭和四〇年度に持込されておるが、検察官主張の昭和四〇年度分の資産増加の算定に当つては、この持込現金七〇〇万円が計算控除されておらず、原判決は検察官の右主張を全部容認しているので、同額について昭和四〇年度分の所得額から控除されるべきものである。

その持込現金七〇〇万円の存在の理由は以下の通りである。

(2) 日野市子はパチンコ店経営には全く素人であつたが、その伯父日野喜助の指導で昭和二七年頃阿賀でパチンコ店営業をはじめ、ついて昭和三二年頃呉市中通りで同様パチンコ店営業をはじめたが、これら両店舗についての開店資金の全部及び開店後の営業資金について日野喜助の出資をうけ、その総額は三、〇〇〇万円ないし四、〇〇〇万円に達していた。

営業許可名義等形式的には日野市子の営業であつたが、実質的には日野喜助が支配力を持つ同人の営業とされており、昭和三九年末頃に至つては日野市子はかなり健康を害しており、その健在でおる間にこれら両店舗のパチンコ店営業を自己ら一家のものとして経営したい強い希望を有しており、そのために日野喜助に対しその出資額について相当額の支払をなして営業譲り渡しをうけるべく昭和三九年一二月五日頃病身にかかわらず被告人に付添われて松山市に日野喜助を訪ね、同人にその趣旨の依頼をなした。日野市子はその際日野喜助に支払う資金として現金をふろしき包みに入れて持参していたが、日野喜助はその包みの具合から現金在中高七〇〇万~八〇〇万円とみて、自己の出資高に比して余りに少いのでその場は日野市子の希望を軽く受け流し、大分体が弱つているので営業譲渡の話は別として暫く静養して行くようすすめ、日野市子はそのすすめにより約一〇日間位日野喜助方で静養し呉に帰つたが、現金在中のふろしき包みは滞在中日野喜助に預け日野喜助がこれをふろしき包みのまま金庫に入れて保管し、日野市子が呉に帰るとき日野喜助からそのふろしき包みを受けとり持帰つた。

日野喜助の証言によると同人は現金在中のふろしき包みの中味は見ておらず又日野市子から金額は聞いていないが見た状況や預つたときの手ざわりで七〇〇万円か八〇〇万の現金が入つていたものとみている。

(3) 日野市子は同月一五日頃日野喜助方から中通店に帰り、被告人夫婦と一諸に食事をしたが、その食事の前に前記現金在中のふろしき包みを、その娘である被告人の妻八重子に手渡して保管方を託し阿賀店に帰り、二日後の同月一七日に死亡した。

右現金在中のふろしき包みを預つた日野八重子はふろしき包みのままこれを中通店の金庫に入れ、一七日の母の死亡後にこのふろしき包みをあけてみたところ、現金七〇〇万円があり、この七〇〇万円はその後半年位のうちに何回にもわけて普通預金や定期預金何れも偽名の裏預金に入れた。

以上(1)(2)(3)について参照

証人日野喜助の供述調書(45・11・4出張尋問第四分冊一、一六六丁)

証人日野八重子の供述速記録(47・9・8第二二回公判期日第五分冊一、八二二丁)

被告人の供述速記録(48・12・14第三〇回公判期日第六分冊二、三八一丁)

被告人の上申書(48・12・14付)

(4) 検察官は公判段階に於て(A)日野八重子の検事調書(44・4・10付第六分冊二、一六六丁)第一項、第二項に「母が日野喜助方から戻つた時に私が預つた金は六〇〇万円位であつた」旨の記載のあることと(B)日野市子死亡による被告人夫婦の相続税の申告に当つて現金七〇〇万円を相続財産として計上していないことを理由として持込現金七〇〇万円の存在を否定せんとしているが、

(イ) 右検事調書に六〇〇万円位という記載のあることはまちがいないが、この点について日野八重子は48・2・16第二六回公判期日(第六分冊二、〇四〇丁)に於て検察官から「検事に事情を聞かれた時は六〇〇万円位のことを言つていなかつたか」と尋ねられて「六〇〇万円か七〇〇万かと言つたんじやないかと思います」と答え更に「はつきりわかつとるのは七〇〇万円の記憶の方が正しいんですが、どうしてかなと今思つているんですけど」と答えておる。

(ロ) 又押収にかかる相続税調査書兼申告是認決議書によると被告人夫婦の右相続税申告についての修正申告書添付明細書(第二表)には

現金預貯金等一、六三五、五二四円

と記載してあり、確かに相続税の修正申告書には持込現金七〇〇万円の相続財産としての記載はない。

しかしながら右相続税の修正申告書添付明細書(第二表)には現金と預貯金を合せて一、六三五、五二四円ということであるから、いわゆる匿名預金何千万円かについて 右相続税の修正申告書には記載されていない。だからといつて検察官は日野市子死亡時の匿名預金の存在を否定することはできないであろう。

しからば右(A)(B)を理由として持込現金七〇〇万円の存在を否定せんとする検察官の見方は真実に反するものであると言わねばならない。

従つて検察官のと同じ見解をとつたとみられる原判決は持込現金七〇〇万円の存在について明かに事実の誤認をしているといわねばならない。

二、持込定期預金

昭和四〇年度分 持込定期預金八〇万円

持込預金利息四万三、三九九円

(1) 日野市子がその存命中昭和三九年中に阿賀信用金庫に偽名預金をしておつて、その死後被告人夫婦に於て昭和四〇年中に預金及び預金利息の払戻を受けた後記定期預金八口預金額計金一七〇万円及びその預金利息(預金利子税控除後)九万二、二二一円については検察官主張の昭和四〇年度分の資産増加の算定に当つてはこれを控除する計算がされていないので、この持込定期預金及び預金利息合計金一七九万二、二二一円は昭和四〇年度分の所得額から控除されるべきものである。

その持込定期預金及び預金利息の存在の事情は次のとおりである。

(2) 阿賀信用金庫に対する偽名預金については昭和四三年八月二日付久保勝則作成大蔵事務官木島正あて上申書が提出されており、この上申書は阿賀信用金庫の方で資料を提出し、木島正事務官らに於てその資料を調査した結果その指示により久保勝則が作成したものである。

その後公判段階になつて被告人の方から同信用金庫に対し直接或は経理士を通じ右上申書に記載した以外の定期預金で昭和三九年中に預入れ昭和四〇年に払戻を受けた偽名の定期預金があるはづにつき再三その調査方を申入れ、その結果久保勝則に於て再調査したところ、次の通りの持込定期預金の存在が判明したものである。

右調査者久保勝則の証言によると後記弁第一号証関係の定期預金五口については印影の同一性は上申書中の偽名名義人との名義の同一性等からして被告人方の預金であることはまちがいないが、弁第二号証関係の定期預金三口については印影或は名義の同一性はないが被告人方の偽名預金受け入れの担当者であつた久保勝則の記憶により被告人方の権利に属する定期預金であると認められるものである。

弁第一号証関係

イ 預入日39・1・29高橋盛繁名義 金額三〇万円 払戻日40・2・22利息金一万七、二三二円 預金利子税金八六一円控除

ロ 預入日39・2・22友清政子名義 金額一〇万円 払戻日40・2・23利息金五、六〇六円税金二八〇円控除

ハ 預入日39・2・4田中久美子名義 金額二〇万円 払戻日40・2・23利息金一万一、四二八円 税金五七一円控除

ニ 預入日39・1・28岡田静子名義 金額二〇万円 払戻日40・2・24利息金一万一、五二四円 税金五七六円控除

ホ 預入日39・2・24浜崎梅乃名義 金額一〇万円 払戻日40・2・24利息金五、六〇〇円 税金二八〇円控除

弁第二号証関係

ヘ 預入日39・1・27堤清子名義 金額三〇万円 払戻日40・2・20利息金一万七、二三二円 税金八六一円控除

ト 預入日39・2・1山田英子名義 金額三〇万円 払戻日40・2・26利息金一万七、二五〇円 税金八六二円控除

チ 預入日39・3・4原弥生名義 金額二〇万円 払戻日40・2・25(借受金と相殺)利息金一万一、二〇〇円 税金五六〇円控除

以上(1)(2)について参照

証人久保勝則の供述速記録(45・4・30第六回公判期日第三分冊八七四丁)

証人正力久幸の供述速記録(45・6・15第七回公判期日第三分冊九五五丁)

弁証第一号証綴り(第三分冊九二四丁、九二三丁)

定期預金元帳謄本

高橋盛繁名義預入日39・1・29

定期預金元帳謄本

友清政子名義預入日39・2・22

田中久美子名義預入日39・2・4

岡田静子名義預入日39・1・28

浜崎梅乃名義預入日39・2・24

弁第二号証綴り(第三分冊九二六丁、九二五丁)

定期預金元帳謄本

堤清子名義預入日39・1・27

山田英子名義預入日39・2・1

原弥生名義預入日39・3・4

手形貸付金元帳謄本

原弥生名義

弁第三号証 証明書(第三分冊九六六丁)

弁第四号証 訪問日誌(第三分冊九六八丁)

弁第五号証 訪問日誌(第三分冊九六九丁)

(3) 然るに原判決は右弁第一号証による架空名義人五名名義の定期預金計金九〇万円とその利息については被告人の主張を容認しておるが右弁第二号証による架空名義人堤清子外二名名義の定期預金計金八〇万円については「これが右市子ないしは被告人に属していたことを認めるに足りる確証はない」として被告人の主張を排斥している。

然れども三口計金八〇万円の架空定期預金については使用名義の同一性ないし使用印鑑の印影の同一性等の物的証拠はないが、日野市子の偽名定期預金の受入担当者であつた久保勝則前掲証言により、この三口計金八〇万円の架空定期預金は日野市子の権利に属したものと認めることができるし、少くとも同証言はその様に疑うに足りる十分な証拠ということができる。

それにも拘らず原判決が「疑わしきは罰せず」の原則を無視して「被告人に於て無罪の確証を提供しなければ有罪である」とする建前でなした右被告人の主張の排斥は許さるべきものでなく破棄に値いするものである。

三、宝石

昭和四二年度分金一三〇万円

(1) 検察官は冒頭陣述書(別紙6の31)に於て

昭和四二年度に於ける簿外資金による宝石の購入一三〇万円

を計上し、この金額を簿外支出額として同年度の所得額に算入しているが、この宝石購入代金なるものは全く支出されていないので右所得額から控除されるべきものである。

然るに原判決は検察官の右主張を全部容認しているので同額について昭和四二年度分の所得額から控除されるべきものである。この点に関しても原判決は「疑わしきは罰せず」の原則を無視して積極認定をなしており、その理由は以下の通りである。

(2) 押収された後に還付された

領置番号21 オパールプラチナ台指輪

同 22 パールプラチナ台1.3mm指輪

同 23 パールプラチナ台1.35mm指輪

同 27 パールプラチナ台11mm指輪

同 31 パールネツクレス

の五個は何れも被告人の妻八重子が母市子からその生前に貰い受け(右21号、22号、23号、31号の分)或は母市子の死亡のとき茶だんすの中にあつたもの(27号の分)を取得したものであつて、被告人が行商人金一三〇万円で買つたということは全く虚構の事柄であり、被告人はもちろんその妻八重子に於てさえこれらを購入した事実は全くないものである。

以上(1)(2)について参照

証人日野八重子の供述速記録(47・9・8第二二回公判期日第五分冊一、八二二丁)

(3) 被告人に対する大蔵事務官木島正の質問顛末書(43・10・19付第七分冊二、六八四丁)の第一六項によると右五点の指輪等は被告人が外交員らしい人から代金一三〇万円で買受けた旨の記載があるが、この記載が虚偽の事実であり且つ木島正調査官の誘導と押しつけによつて生じたものであることについて被告人は48・12・14第三〇回公判期日の供述速記録(第六分冊二、三八一丁)に於て

家内が法廷に持参した四つの指輪と他にネツクレス一個の五個の宝石は誰がどこから買つたのか私には今でも判らない。

母市子が指にはめていたのを見たことはある。

木島調査官がその指輪等を買つたんじやろう買つたんじやろうと言つて追及し、私は買つたおぼえはないのでそう答えると、木島は知らんことはなかろうと丸一日か二日このことばかりせめるので、私はしかたなく行商から一三〇万円で買つたとつくり事を言つた。

木島はこの指輪を買つた代金も多額の銀行引出金から払つたのだろうというふうに追及された。

旨供述し、更に48・12・14付被告人上申書に於ても同旨の記載をなしている。

被告人は右供述速記録に於てひつじやから買受けの宝石について「誰が買受けたのか知らない。私は買つた事はない。ひつじやの場所は今は知つているがその当時は全然知らない」旨述べており、これらを総合すると何れの宝石についても宝石購入には被告人は全く関与していないにかかわらず、ひつじや売渡しの宝石については同店の保証書の存在を根拠として被告人が購入したものなりと誘導ないし押しつけの上自白供述をとり、他の宝石については多額の銀行預金引出金の使途に見合わすため被告人が購入したものであるとの予断ないし作為に基いて被告人に対する誘導ないし押しつけ的取調を強行し、切端つまつた被告人をして宝石五個一三〇万円という高額のものを素姓の判らぬ行商人から購入したと供述せしめる等誠に真実発見を無視し予断に合せた取調をなしているものとみられる。

四、架空支払

昭和四〇年度分 永野昇関係金一〇〇万円

昭和四〇年度分 大木与一関係金五〇万円

(1) 公表勘定から架空支払の方法により右合計金一五〇万円を裏勘定に回しており、これは公表勘定面では出金となり資産減少をきたすが実際には出金されておらず裏勘定に帰属し実質上資産減少は来たしていないので右一五〇万円については昭和四〇年度の所得額から控除されるべきものである。

然るに原判決は右合計金一五〇万円についてこれを同年度の所得額から控除せずこれを同年度の所得額に算入しているので、同額について昭和四〇年度分の所得額から控除されるべきものである。

この点に関しても原判決は「疑わしきは処罰せず」の原則を無視して積極認定をなしており、その理由は以下の通りである。

(2) 永野昇関係の金一〇〇万円

(イ) 日野八重子は昭和四〇年四月二八日額面金一〇〇万円・振出人日野八重子・振出日同日・支払銀行住友銀行呉支店なる小切手一通を振出し、永野昇に依頼してこの小切手に同人名義の裏書記名捺印を得て右銀行に対する日野八重子の当座預金勘定(公表勘定の分)から永野昇に対する支払金なる如く装つて金一〇〇万円の払出しを受け、これを住友銀行呉支店に於ける

雨宮礼三名義普通預金四〇万円 40・5・1預入れ同人名義普通預金四五万円 40・5・1預入れ

同人名義普通預金一五万円 40・5・4預入れ

の偽名預金となした。

(ロ) 右は表勘定に余裕ができたのでその内金一〇〇万円を裏勘定に回すために日野八重子が行つた操作である。

以上(2)について参照

証人日野八重子の供述速記録(47・9・8第二二回公判期日第五分冊一、八二二丁)

証人日野八重子の供述速記録(48・5・8第二七回公判期日第六分冊二、一二七丁)

証人永野昇の供述速記録(47・11・21第二四回公判期日第五分冊一、九七二丁)

証人正力久幸の供述速記録(47・10・21第二三回公判期日第五分冊一、九四一丁)

住友銀行呉支店長からの取寄記録

A 小切手 写一通(第六分冊二、一〇七丁)

B 普通預金勘定入金伝票 写三通(第六分冊二、一〇九~二、一一一丁)

C 当座勘定元帳写(日野八重子口座)(第六分冊二、一一二丁)

D 普通預金元帳写(雨宮礼三名義)(第六分冊二、一一三丁)

(3) 大木与一関係の金五〇万円

昭和四〇年度の総勘定元帳によると、40・12・30に大木与一に対し借入金五〇万円を支払つた旨の記帳がある。

大木与一から五〇万円を借入れた事実も、又同人に対し五〇万円を支払つた事実もない。

日野市子の生存中から総勘定元帳の借入金口座に大木与一からの借入金として五〇万円の記帳がしてあつたが、実際には大木与一からの借入金債務がなかつたので、帳簿上整理のため右の支払記帳をしたものである。これは石原ミネに対する架空借入金の支払記帳と同様に架空支払の記帳である。

従つて公表勘定では五〇万円の出金記帳がなされたが、実際には五〇万円が出金されたものではない。

右(3)について参照

証人日野八重子の供述速記録(47・9・8第二二回公判期日第五分冊一、八二二丁)

証人大木与一の供述速記録(47・10・21第二三回公判期日第五分冊一、九二八丁)

被告人の検事調書(44・3・7付第七分冊二、七〇四丁)第八項

被告人の質問顛末書(43・12・5付第七分冊二、六九二丁)第一二項

五、自宅建築費

昭和四〇年度分 金一〇七万七、四九七円

(1) 検察官は冒頭陣述書(別紙4の28)に於て「三九年秋より自宅建物の新築工事をはじめて四〇年三月完成しているが、この工事に関連した費用合計金一七八万六、九二〇円を別口資金より支払つておるとして、昭和四〇年度に於けるその別口資金よりの支払先として、永野昇外八名の支払先をあけている」

被告人は昭和三九年九月頃から現在の自宅の新築工事をはじめ昭和四〇年三月末にはこれを完成し、同年四月三日迄にこの新築建物に入居しており、その建築費用は二〇〇万円余りであつて、建築の差配を依頼した大木与一に建築費用を渡して大木与一が建築に従事関連した各業者に支払つたもので、昭和三九年度中に建築費用の半額余を支払い、昭和四〇年度になつてからその残額を支払つておる。

而して右昌頭陳述書掲記の建築費用金一七八万六、九二〇円の内後記五名に対する各掲記の金額合計金一〇九万七、四一九円は右自宅建築費用ではなく中通店の改造に関する費用であつて、自宅建築費の簿外支出金には該当しないので、同額の金額が昭和四〇年度の所得額から控除されるべきであり、その明細は以下の通りである。

(2) 永野昇に対する左官工事代金

昭和四〇年度分 金八〇万円

(イ) 検察官の冒頭陳述書による永野昇に対する左官工事

代金の支払

40・7・10支払 金五万円

40・7・15支払 金二五万円

40・8 支払 金五〇万円

(ロ) 自宅建築費の支払については大木与一が被告人の妻八重子から支払資金を受けとつて各業者に支払を実施し、その支払は大木与一に対する礼金一〇万円と藤野材木店に対する材木代金の一部が、昭和四〇年四月三日以後になつたのみで、それ以外の企業者に対する支払はすべて昭和四〇年四月三日迄に完了しており(参照・証人大木与一の供述速記録―45・7・6第八回公判期日第三分冊九七六丁、被告人の供述速記録―49・1・29第三一回公判期日第六分冊二、四三一丁)永野昇に対しても左官工事代金約五〇万円が昭和四〇年三月末に支払われておる。

従つて右冒頭の三口計金八〇万円の支払は被告人自宅の建築費用には関係ないものであり、これは中通店二階の改造工事の代金の一部である。

以上参照

証人大木与一の右供述速記録

証人永野昇の供述速記録(45・9・21第九回公判期日第四分冊一、〇五七丁)の内弁護人の問に対する答の部分

(ハ) 従つて検察官の右冒頭陳述書に記載の右三口合計金八〇万円の支払は自宅建築費についての簿外資金の支出ではない。

よつてこの金八〇万円は昭和四〇年度の所得額より控除されるべきである。

(3) 藤野材木店に対する材木代金

昭和四〇年度分 金八万八、九九九円

(イ) 検察官の冒頭陳述書による材木代金の支払

40・4・5 一〇万円

40・4・16 四万五〇〇円

(ロ) 藤野材木店から買受けた材木の品名、代金額、納品月日は昭和四三年八月二日付株式会社藤野材木店取締役社長藤野茂作成、大蔵事務官木島正あて上申書添付の別表の通りであるが、この別表の内昭和四〇年四月五日から同月二七日迄に購入したラワン板外等計五口の材木代八万九、三六四円相当の材木は納品の時期的にみても被告人自宅の建築資金ではなく、従つてこの代金である八万九、三六四円から値引金三六五円を差引く金八万八、九九九円は自宅建築費の簿外資金支払でないから、同額が昭和四〇年度の所得額から控除されるべきである。

以上参照

証人大木与一の右供述速記録

(4) 谷川電気に対する配線工事代金

昭和四〇年度金 八、三九〇円

(イ) 右は検察官の冒頭陳述書に記載された40・5・22支払金八、三九〇円の簿外資金支払の金額ということであるが、大木与一の前掲供述速記録と谷川六之丈作成の証明書添付の取引謄本中

取引年月日 40・5・22

取引金額 八、三九〇円

受入年月日 40・5・22

決済方法 現金

という記載を総合判断すると時期的にみても自宅建築費の簿外資金支払ではない。

従つてこの金額は昭和四〇年度分の所得額から控除されるべきである。

(5) 上垣邦夫に対する冷房用ポンプ取付工事代金

昭和四〇年度分 金一七万五、〇〇円

(イ) 検察官の冒頭陳述書によると上垣邦夫に対する冷房用ポンプ取付工事代金の支払

40・8・14 五万円

40・10・6 一〇万円

40・11・13 二万五、〇〇〇円

(ロ) 前記の通り自宅建築工事費は昭和四〇年四月三日迄に支払が完了しており、上垣邦夫についても同様であるから右は自宅建築工事費の簿外資金支払ではない。

加えて証人上垣邦夫の供述速記録(45・11・10第一〇回公判期日第四分冊一、二四八丁)によると検察官請求証拠目録記載の請求番号20の43・9・18付上申書(第二分冊三九五丁)及び21の43・11・27付上申書(第二分冊三九七丁)は何れもまちがつているから撤回するということであり、この上申書は金銭出納帳によつて作成した旨の記載があるが、上垣は記憶によつて書いただけで当時金銭出納帳はつけていなかつたので金銭出納帳によつて作成したのではなく、このことは木島調査官も承知の上で、書き方を指示され下書をしてくれたものである旨述べており、しかも右三口の支払合計金一七万五、〇〇〇円の支払日、支払金額は右上申書を基礎として算定されておるものであり、証人上垣邦夫の右供述速記録の供述からは右支払日、支払金額の証拠はとれぬものである。

(ハ) 従つて右金一七万五、〇〇〇円は昭和四〇年度の所得額から控除されるべきものである。

(6) 松谷一郎に対するブリキ工事代金

昭和四〇年度分 金二万五、〇三〇円

(イ) 検察官の冒頭陳述書によると松谷一郎に対するブリキ工事代金支払

40・6・19 一万五、〇〇〇円

40・9・20 一万三〇円

(ロ) 前記の通り自宅建築工事費は昭和四〇年四月三日迄に支払が完了しており、松谷一郎についても同様であるから右は自宅建築工事費の簿外資金支払ではない。

従つて右金二万五、〇三〇円は昭和四〇年度の所得額から控除されるべきものである。

(7) 然るに原判決は前記(2)ないし(6)の工事代金等のうち(5)の上垣邦夫に対し三回に支払つた計金一七万五、〇〇〇円のうち金一万一、五三二円と(4)の谷川電気に対して支払つた金八、三九〇円の金額とについて僅かに被告人の主張を容認して、この計金一万九、九二二円に付ての控除をなしたのみで、その余の計金一〇七万七、四九七円については被告人の主張を排斥している。

このことは原判決が前掲二、(3)の通り「疑わしきは罰せず」の原則を無視して有罪の判決をなした違法をおかしておるものと謂わねばならない。

六、蘭観音竹(東海錦を除く)

昭和四二年度分 金二九万円

(1) 検察官は冒頭陳述書に於て

(イ) 42・6 多賀弘から

鶴の華一鉢を代金三三〇万円

下取り代 一三〇万円

現金支払 二〇〇万円で(別紙6の33)

(ロ) 42・4 饒津会から

愛国一鉢を代金一〇万円で(別紙6の33)

それぞれ簿外資金で購入したとしているが

(イ) 鶴の華一鉢については買受代金三三〇万円に対し、下取りの鶴の華が金一五〇万円で下取りされているので、現金支払額は金一八〇万円であつて、差額二〇万円については簿外支出は存しない。

(ロ) 愛国一鉢については買受代金が金一万円であつて、差額金九万円については簿外支出は存しない

その理由は以下の通りである。

(2) 鶴の華一鉢の買受代金

被告人は49・1・29付上申書に於て多賀弘から42・6頃鶴の華蘭一鉢を代金一〇〇万円で買受けた旨記載しておるが、その金額はしばらく置くとしても多賀弘の証言速記録(47・4・14公判期日第五分冊一、五七五丁)及び同人の検事調書(44・3・19付第七分冊二、六三〇丁)及び被告人の質問顛末書(43・10・19付第七分冊二、六八四丁)第八項によると何れも

鶴の華一鉢の代金 三三〇万円

下取の鶴の華 一五〇万円

差引現金支払 一八〇万円

という供述記載があるのでこれによつても現金支払額が検察官冒頭陳述書の金額との間に二〇万円の差がありこの差額二〇万円については簿外支出がなされていないので、同額について昭和四二年度の所得額から控除されるべきである。

(3) 愛国一鉢の買受代金

(イ) 保岡栄の第一回質問顛末書(43・8・27付第三分冊七五二丁)の第一九項によると「私が日野方に行つた最後は四一年一、二月頃である」と言いながら、第二七項で「愛国は多賀が広島饒津会に出したもので、日野が一〇万円位で買い、日野の指示で多賀弘の自宅に私が行つて持つて来た。それは四二年春頃と思う」としておる。ところが多賀弘は前記証言速記録によると

問 四二年春頃饒津会で愛国蘭を売つた記憶があるか、あなたが売つたんでなしに饒津会が売つたというのか。

答 記憶にない。

として右愛国蘭の取引を否定している。

被告人は49・1・29付上申書に於て四二年四月頃饒津会で愛国蘭一鉢を代金一万円で買受けた旨を自認している。

(ロ) 右を総合してみると愛国蘭一鉢を代金一万円で買受けたものとするのが相当と認められるべく、然らば検察官冒頭陳述書の買受代金一〇万円との差額九万円については簿外支出が存しないので、同額について昭和四二年度の所得額から控除さるべきである。

(4) 然るに原判決は検察官の右主張を全面的に容認して、被告人の前記主張を排斥している。

これは前掲二、(3)と同様原判決が「疑わしきは罰せず」を無視した違法をおかしているものと謂うべきである。

七、観音竹(東海錦)

昭和四二年度分 金七二〇万円

(1) 検察官は冒頭陳述書(別紙6の33)に於て

42・6・5大可義幸から

東海錦一鉢を代金七二〇万円

で簿外資金を以つて購入したとしているが、以下の通り被告人は東海錦を代金の如何にかかわらず買受けた事実はないので、右金七二〇万円の簿外支出なるものは存しない。

従つて同額について昭和四二年度の所得額から控除さるべきものである。

然るに原判決は検察官の右主張を全部容認して、被告人が東海錦を金七二〇万円で購入した旨の計算にて、昭和四二年度分の所得額を算定しているので、原判決認定の同年度分から金七二〇万円が控除せらるべきものである。

この東海錦の買受けの有無に関しても原判決は「疑わしきは罰せず」の原則を無視して積極認定したものであつて、その理由は以下の通りである。

(2) 大可義幸の証言速記録(45・11・10第一〇回公判期日第四分冊一、二七六丁、46・8・24第一四回公判期日第四分冊一、三九一丁)及び検事調書(44・4・2付第七分冊二、六二五丁)矢田部英輔の証言速記録(47・2・4第一六回公判期日第四分冊一、五〇五丁、47・3・7第一七回公判期日第四分冊一、五一八丁)多賀弘の証言速記録(47・3・7第一七回公判期日第四分冊一、五六二丁、47・4・14第一八回公判期日第五分冊一、五七五丁)及び検事調書(44・3・19付第七分冊二、六三〇丁)によると大可と矢田部の共有にかかる東海錦の子を多賀が仲介して昭和四二年六、七月頃、代金七二〇万円で被告人に売り、その頃被告人から現金七二〇万円を受け取り内金二〇万円を多賀が仲介料として取得し、残金七〇〇万円を大可、矢田部の両名に支払つたということである。

尚、大可及び矢田部は売買当時に於ては買主が誰であるかを知らなかつたものである。

(3) ところが被告人は国税局の取調、検察庁の取調を通じ一貫してこの東海錦の取引を否定している。

国税局における本件事犯の取調経過を概観すると、被告人は妻八重子の病気を気づかい、これに激しい取調の追及が及ぼされることを懸念すると共に後記の如く営業関係、経理関係については妻八重子がにぎつており被告人としては門外漢的立場で組織的体系的に事情を知つていなかつたため、木島調査官の誘導ないし押しつけに屈しこれに迎合する供述をなし、自己の経験或は客観的事実と異つた多くのことがらについて木島調査官の見込みに基く言いなりの供述をなしておる。

例えば

行商人から一三〇万円の宝石を買つたということ。

自宅建築費の実際より多い支払の点。

東海錦を除く蘭、観音竹の買受けについて真実でない供述。

実兄北川玉一に対する二〇〇万円の貸金の貸付時期及び返済時期の点。

経営の主体が妻八重子であるにかかわらず被告人が経営者なりとする供述。

等々数限りなく存在する。

しかるにもかかわらず東海錦の取引については一貫して否定しており、そこに大きな意味が存すると思われる。

(4) 検察官は被告人の否定に対し、東海錦の取引を肯定する資料として

(イ) 被告人が本件調査の始つたのち大可及び矢田部の両名を戸田別館に招待して饗応し、両名に対し東海錦の取引は行われなかつたように、即ち東海錦の買受けの事実のもみけしを依頼したという点と、

(ロ) 昭和四二年六月頃多額の銀行預金が引出され、その使途が不明であり、この引出金が東海錦の買受代金の資金となつている点

を挙げている。

(5) 戸田別館の件

(イ) 戸田別館には被告人が大可及び矢田部を招待して被告人から何事かを依頼したものではなくて、矢田部が被告人に依頼することがらがあつて、大可をさそつて両名が被告人の所在をたずねて戸田別館におしかけて来たものであつて、矢田部から被告人に対し税務対策に関しての依頼をなしたものである。

(ロ) 大可義幸は前掲証言速記録及び検事調書に於て、

被告人からよばれて戸田別館に行き、ごちそうになつて、

被告人から東海錦の取引はなかつたことにしてくれ、

と依頼をうけた。

即ち饗応されて証拠湮滅を頼まれた旨述べておる。

(ハ) 両名が被告人からよばれて戸田別館に行つたこと、ごちそうになつたこと、被告人が東海錦の取引のもみけしを依頼したということが真実と違うことは、次の証拠により明らかである。

(A) 大可の証言速記録中に、弁護人の問に対しては次のような供述がある。

◎ 矢田部が日野に会いにいこうというので私はついていつた。日野は留守で二時間位待つており、日野の出先から電話があつて戸田別館へ行くようになつた。

私はその電話には出ていない。

◎ 行つたら日野ら三人が飲食をしていた。その三人が飲んでいる席へ我々が行つたという感じであつて、我々が招待された様子ではなかつた。

料理も特に我々二人のために注文して出されたとはみえなかつた。

日野ら三名分として注文した分が遂次出てきたのかもしれない。

席づくりも我々が招待をうけたという感じではなく、上席でもなかつた。

代金は誰が払つたか知らない。

私は払つていないという意味でごちそうになつたと言つたのである。

(B) 矢田部は前掲証言速記録に於て次の通り述べている。

◎ 戸田別館へは日野からよばれたのではなくて、私と大可の二人が行つた時に日野がお客をしておられたと思う。

同席したのは私と大可と日野と外二、三人と思う。

◎ 用件は税務対策の問題だつたと思うが具体的内容はおぼえていない。

◎ 私は日野と話をしたと思うが話の内容についてはおぼえていない。

時間は三〇分位と思う。

◎ 戸田別館へ行つたとき、日野ら二、三人の飲むのは始つていた。それに私らが加つた。

(C) 里谷富夫の証言速記録(47・4・14第一八回公判期日第五分冊一、六四七丁)によると次のとおり述べておる。

◎ 四四年二月頃私と日野と脇中と一諸に戸田別館で飲んでいる時、日野の知合二人が来たことがある。

◎ 三人が飲んでいるところへ突然来たのであつて日野が招待したとは考えられないような状態であつた。

◎ 私らが相当酔つて、帰ろうじやないかというところへ来たように思う。二人の用件はわからない。

◎ 私らは鯛の活造りを注文しており、二人が来てから追加で注文したことはない。

(D) 被告人の供述速記録(49・1・29第三一回公判期日第六分冊二、四三一丁)によると次の通り述べている。

◎ 里谷の家で私と里谷と脇中の三人で飲み、それが飲み足らなくて三人で戸田別館へ行つた。

◎ 三人で飲んでいるところへ矢田部と大可が私をたずねて来た。

私は朝から出て、家に電話をしていなかつたので四時か四時半頃、今から帰るからとオアシスの方へ電話をした。

それから三〇分位たつて帰ろうかと立ちかけたところに二人がたずねて来た。

◎ 私の方から二人に対し戸田別館におるから来てくれと電話したことはない。

◎ 二人が来たときに新しく料理を追加したことはない。

私ら三人が注文していたものを飲んだり食つたりしたものと思う。

◎ 話の内容は、矢田部が

広島の方で観葉植物の愛好者は税務署につつかれて大もめしているが、県下の愛好者から金を集めて、寄付してもらつてそれで税務署対策を講じようという案が出たが、お宅もひとつのつてくれ。

ということであつたが私は断つた。

◎ 私の方から東海錦のことを取引していないように言つてくれと頼んだことはない。

(E) 大可、矢田部、多賀のそれぞれの前掲証言速記録及び検事調書によると観葉植物の取引に関して税務署の調査が行われていることに関し、観葉植物の取引に関連した多賀、矢田部等の業者ないし愛好者が数人木本方に会合して税務対策の協議をなし、この税務対策については費用がかかるから費用の拠出について相談をなし、その協議がまとまつたかまとまらないか不明であるが、更に多賀、矢田部、大可の三者が数回会合して税務対策の協議をなし、これに関連して矢田部が大可を伴つて戸田別館に被告がおることを知り、同所に被告人をたずねたものであることが充分認められるので、その経過からして被告人が両名を招待して饗応し、被告人から両名に東海錦買受けのもみけしを依頼したとみることは合理的な経験則に反するものである。

(ニ) 東海錦の取引に関してはその他多賀から大可、矢田部に対する代金七〇〇万円の支払場所についても右三名の国税局以来の調査では授受場所が三者三様に異つており、このことや前掲の経過を総合すると、東海錦は被告人以外の者との間に取引が行われていたものをそれが表沙汰になると県外関係者その他波及するところが大きくなることをおそれ、業者多賀弘の才覚でこの取引を被告人の買受けとして収拾せんとしたものとみられ、実際には東海錦の買受人が誰であるかを具体的に知らない大可、矢田部が多賀の画策に協力したものとみられる。

(6) 預金多額引出の件

(イ) 被告人に対する大蔵事務官木島正の質問顛末書(43・10・19第七分冊二、六八四丁)第一六項及び証人木島正の証言速記録によると

昭和四二年六月五日

金八三八万七、三七七円

昭和四二年六月一二日

金一〇二万五、九〇七円

昭和四二年六月一五日

金一九三万六、〇七二円

合計金一、一三四万九、三五六円が約一〇日間の間に住友銀行呉支店等の偽名定期預金等から引出されていることが認められる。

(ロ) この前途について被告人が取調当時記憶を失念し或は北川玉一に対する二〇〇万円の貸付金について、これが右引出金の使途に合致する貸付時期を主張しながら木島調査官の作為に乗せられて右使途に関係なき時期を以つて貸付時期とする供述をさせられる等のことがあり、右引出金の多くについて使途の説明をなし得なかつたため、これが東海錦購入の資金に充当されたものなりとする認定をうけた。

しかしながら被告人は公判段階に至つて右引出金の内の大部分についてその記憶を喚起し、関係者特に北川玉一に於て関係資料を調査した結果右金一、一三四万九、三五六円の引出金の内合計九〇〇万円については漸くその使途が判明したので、この引出金を以つて東海錦の購入資金とみた検察官の意図はくずれるに至つたものである。

(ハ) 北川玉一に対する貸金二〇〇万円の件

(A) 被告人の実兄北川玉一は、阿賀でかきとのりの養殖業を営んでおり、昭和四一年暮頃かきに大腸菌がおるということで新聞にも出てかきの売上がおち、カン詰の方へ回すようになる事態がおきたことがある。

これについて保健所から四二年五月頃清浄化の設備をせよといわれ、その清浄化装置の事業計画をたて

かきの処理作業所 一七四万円

機械・器具 二一二万円

雑資材(かきのかご) 一二万円

雑工事 五万円

計約四〇〇万円余りを計上し、その頃からこの施工にかかつた。

この経費の内県から二〇〇万円の融資を希望して

機械・器具 二一二万六、〇〇〇円

かきのかご 一二万円

計金二二四万六、〇〇〇円を要した計算で阿賀漁業協同組合を通じ広島県に対し、金二〇〇万円の融資申込をなし、これに対し昭和四二年一二月三〇日同漁業組合を通じて金一〇〇万円の貸付をうけるに至つた。

以上(A)について参照

証人北川玉一の供述速記録(48・11・27第二九回公判期日第六分冊二、三四三丁)

弁号証金銭貸借証明書(48・11・27第二九回公判期日に於て弁護人より提出第六分冊二、三六九丁)

阿賀漁業協同組合長理事折見勝治作成のもの

(B) 北川玉一は右清浄化装置の代金支払に当つてその所用資金の一部として昭和四二年六月頃被告人から金二〇〇万円を借受け、前記広島県からの融資が行われた際その貸付金一〇〇万円と、その年度のかきの売上金中の金一〇〇万円とを合せて合計金二〇〇万円を昭和四二年一二月末被告人に返済した。

以上(B)について参照

証人北川玉一の右証言速記録

被告人の供述速記録(49・1・29第三一回公判期日第六分冊二、四三一丁)

(C) もつとも北川玉一の質問顛末書(43・11・29付第三分冊七六三丁)第五項、第九項及び被告人の質問顛末書(43・12・5付第七分冊二、六九二丁)第二二項には二〇〇万円の貸付日が四二年二月頃、返済日が一年後の昭和四三年二月頃という記載があるが、これは次の通りの事情でできたもので、真実とちがつている。

Ⅰ 被告人は大蔵事務官木島正に対し43・10・19付質問顛末書第七分冊二、六八四丁第一六項に於て「兄北川玉一に42・6・5から一五日の間頃にかきの材料仕入代金不足分として金二〇〇万円を貸付けた」旨述べていたところ

Ⅱ 木島調査官が北川玉一を取調べて同人の前期質問顛末書の通り造船代金に一七〇万円かかつたので、それと事業資金の必要もあつて金二〇〇万円を42・2頃借受け、一年後の43・2頃返済した旨の調書を作成し、これを材料として被告人に対する誘導ないし押しつけ的取調をなした結果被告人の前記43・12・5付木島正作成の質問顛末書第七分冊二、六九二丁第二二項の通りの調書ができたものである。

Ⅲ 北川玉一は右木島調査官の取調の際は唐突のことであり、資料等も調査のいとまなく答弁したため事実と相違した調書ができており、公判段階になつてから被告人より調査の要請をうけ、二月頃はかきの売上代金の収入のある頃で、この時期に借入金をすることについて不審をもちかき清浄化装置の費用との関連に気がつき、阿賀漁協に問合せ、融資金の調査ないし証明をうけ、被告人からの借受金二〇〇万円の使途、借入日、返済日等の記憶を喚起するに至つたものである。

以上(C)について参照

証人北川玉一の右供述速記録

被告人の右供述速記録

被告人の49・1・29付上申書

(ニ) 山岡万吉に対する貸金五〇〇万円の件

(A) 山岡万吉は被告人と小学校の同級生で卒業以来仲よくつきあつているものであり、昭和二一年から四二年二月頃迄、はじめは個人で山岡鋳造所、二八年から資本金四〇〇万円の山岡鋳造工業株式会社を経営して船舶の鋳造部品製作する鋳造業を営んでおり、昭和四二年四月山岡鋳造工業株式会社を退職して、同年六月はじめ資本金一〇〇万円の山岡商事株式会社を設立し、その代表取締役となつて久保田鉄工製の計量器販売業を営んだが、昭和四二年一二月山岡商事を休業会社となし、翌四三年二月資本金三、〇〇〇万円の山岡鉄管株式会社を設立してその代表取締役となり、水道、ガスのパイプ製造業を営んでいる。

(B) 山岡万吉は山岡商事の計量器の仕入代金の資金ぐりのため被告人に金策の申入をなし、昭和四二年六月初旬に被告人から現金五〇〇万円を借受けた右借受金は昭和四二年一二月二〇日頃山岡商事を休業するについて整理の上返済した。

以上(ニ)について参照

証人山岡万吉の供述速記録(48・11・27第二九回公判期日第六分冊二、二八七丁)

被告人の供述速記録(49・1・29第三一回公判期日第六分冊二、四三一丁)

被告人の49・1・29付上申書

山岡商事株式会社の商業登記簿謄本(第六分冊二、五二一丁)

(ホ) 自動補給装置の契約金二〇〇万円の件

被告人はオアシスパチンコ店のパチンコ玉の自動補給装置の設置工事について、羽黒製機株式会社にその工事を次の通り請負施工せしめた。

工事契約 昭和四二年六月か七月頃

工事代金 金五七六万円(一台一万二、〇〇〇円)

台数 四八〇台

契約金 金二〇〇万円

工事施工 昭和四二年一一月中旬頃一週間位

契約金二〇〇万円は昭和四二年六、七月頃契約締結と同時に担当者である羽黒製機の常務取締役木下太郎に支払い、残金三七六万円は工事終了後同会社に支払つた。

以上(ホ)について参照

証人木下太郎の供述速記録(48・11・27第二七回公判期日第六分冊二、三一三丁)

被告人の供述速記録(49・1・29第三一回公判期日第六分冊二、四三一丁)

被告人の49・1・29付上申書

第二、量刑の不当

原判決は被告人に対し、懲役八月執行猶予二年、罰金六〇〇万円の刑を科しているが、これは以下の情状よりして刑の量定不当に重きに失するので破棄さるべきものである。

一、所得税等完納の点

被告人は本件起訴にかかる所得額について次のとおり所得税重加算税等合計金三、四三四万円を完納しておる。

昭和40年度分

昭和41年度分

昭和42年度分

以上参照

呉税務署長作成の納税証明書三通(第七分冊二、七一八丁、二、七一九丁、二、七九八丁)

二、営業の経営主体及び過少申告の実行行為者の点

(1) 阿賀及び中通に於けるパチンコ店は何れも日野市子の開業経営にかかるものであつて、同女の生存中は同女が経営主体であり又納税申告行為の責任者であつた。

昭和三九年一二月一七日日野市子死亡後に於ては、その実の娘である被告人の妻八重子が日野市子の地位を踏襲し、日野八重子が経営の主体であり、且つ納税申告行為の実質的担当者であつた。

両店舗の経営は日野八重子が取りしきり、日々の売上金を処理してこれを保管し、預金或は費消すること、預金を正常な預金口座に入れることや裏預金をすること等すべて同女がとり計らつていた。

税務申告の資料を税理士に渡すこと、又税理士が作成した申告書に申告名義人たる被告人の判をつくこと、すべて日野八重子がやつていた。

被告人は日野市子死亡後は営業名義人・納税申告名義人となつていたが、前記経営関係納税申告関係はすべて妻八重子が担当処理し、被告人はこれに関知しておらず、被告人が行うことは機械の修理、くぎの調節、機械の購入等パチンコ機械の取得保管・維持に関する現業的仕事のみであつた。

被告人がむこ養子である立場と一面経理関係に疎いことなどから経営の実権・納税申告処理等は日野市子の実の娘である妻八重子がにぎつていたものである。

(2) 被告人は木島調査官の取調に於ては数多くの質問顛末書に於て被告人が営業の経営主体であり納税過少申告行為者であるかの如く供述しておるが、これは営業名義人、納税申告名義人が被告人となつていたため木島調査官が当然被告人が実質的にもそうであるものと認定して取調をすすめ、又被告人もその取調当時妻が著しく健康を害していたので妻が激しい取調をうけることにより健康をそれ以上に阻害されることを懸念したため、被告人がすべての責任者であるとして調書が作成されたものであり、実際の事実とはなはだしく相違するものである。

納税申告書作成に当つた税理士二名も申告名義人が被告人である以上自己の職務に重大な関係のある国税局の調査官から被告人の過少申告行為として取調をうければこれに相応した答をするのは、これまた止むを得ないところであるとみられるが、被告人の関与程度は両税理士が述べているような実情ではない。

(3) 実質的にみれば営業主体は妻八重子であり、又申告行為の実行行為者も妻八重子であつて、被告人は形式的な営業許可名義人及び納税申告名義人として行為者責任ではなく、転嫁責任を問わるべきものであると思料するが、公判の認否に於て当初その主張をなしておらず、所得額のみを争い行為者責任を争つていないので、弁護人としても現段階に於て行為者責任を争うことは妥当でないと考えておる。

しかしながら右の実際の情況は量刑に於て納税完納の点と合せて情状として御考慮賜りたい。

以上(1)(2)(3)について参照

証人日野八重子の供述速記録(47・11・21第二四回公判期日第五分冊二、〇〇一丁及び48・2・16第二六回公判期日第六分冊二、〇四〇丁)

被告人の供述速記録(48・12・14第三〇回公判期日第六分冊二、三八一丁)

被告人の48・12・14付上申書

以上

○ 昭和五〇年(う)第二五四号

控訴趣意書

所得税法違反 日野義行

右被告人に対する頭書被告事件について、弁護人河合浩の控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五一年五月二八日

右弁護人 河合浩

広島高等裁判所

第一部 御中

原判決は被告人を懲役八月および罰金六〇〇万円に処する旨の判決を言い渡したが、右判決は以下に述べる理由により、事実の誤認および量刑の不当の違法があるから破棄を免れないものと信ずる。

第一、事実誤認

一、原判決は被告人の大蔵事務官に対する質問顛末書および検察官に対する供述調書(いずれもいわゆる自白調書)に特信性があるとして被告人の争つている部分についても有罪を言い渡したが、被告人の原審公判廷における陳述によつて明らかなとおり、右の質問顛末書は一方的な押しつけであり、検察官調書も国税局査察官に対する誤つた自白をそのまま鵜呑にし前提としたもので、客観的な事実と著しく相違した偽りの自由をしたというのが真相であり(被告人の供述速記録および上申書参照)、このことを裏付けるものとして、原判決中でも検察官の主張を一部排斥(持込定期預金および同預金利息、有価証券勘定、女中給与、建物勘定、蘭観音竹勘定など)しており、国税局における調査がきわめて独断的一方的な押しつけで被告人の自白調書がいかに措信できないかを証明しているといつても過言でない。

なお、原判決が被告人の主張を排斥した以下述べる事実関係について、被告人の主張を裏付ける十分な証拠があり、少くとも検察官の主張に疑いの余地が多分に存することは明らかで、刑事裁判において「疑わしきは罰せず」の鉄則が厳存する以上、疑いの存する部分については英断をもつて原判決を破棄するべきものと思料する。

二、以下原判決の事実の認定に著しい誤りがあると思料される部分について検討してみることにする。

1. 持込現金について

原判決は被告人の主張する昭和四〇年度分の持込現金七〇〇万円を認めていないが、右金員は当然昭和四〇年度分の所得額から控除すべきである。

右の件については、被告人の詳細な原審公判廷における陳述および上申書(原審第三〇回公判調書参照)によつて明らかなとおり、被告人の経営する遊技場オアシスの先代経営者であつた日野市子が昭和三九年一二月一七日に急死し、その死亡時に同女が所有していた現金七〇〇万円を被告人夫婦が遺産として相続し、昭和四〇年度に持ち込まれたもので、証人日野八重子(原審第三〇回公判調書参照)および証人日野喜助(原審記録一、一六六丁参照)の証言も被告人の主張に照応しており、被告人の右主張は検察官も被告人の妻日野八重子の取調で知つており(日野八重子の検察官調書・原審記録二、一六六丁参照)、ただ被告人が国税局や検察庁の調査取調の際失念していたにすぎず、したがつて証人日野喜助・同日野八重子らの証言を仔細に検討すれば被告人の主張が当然首肯さるべきで、持込現金七〇〇万円の存在を全く認めなかつた原判決は失当のそしりを免れないものと思料する次第である。

2. 持込定期預金について

原判決は被告人の主張する昭和四〇年度分の持込定期預金中、八〇万円とその利息四万三、三九九円を認めていないが、右金額は当然昭和四〇年度分の所得金額から控除すべきである。

右の持込定期預金は、被告人の養母日野市子が生前昭和三九年中に阿賀信用金庫に偽名で預金し、同女の死亡(昭和三九年一二月一七日病死)後被告人夫婦が昭和四〇年になつて払戻を受けたもので、同様の偽名預金八口のうち五口(弁第一号証関係)については原判決でも被告人の主張を容れ検察官の主張を排斥しているが、他の三口(弁第二号証関係)については被告人の主張を排斥している。

しかしながら、当時阿賀信用金庫に勤務し、被告人方に預金担当者として出入りしていた久保勝則の証言(原審第六回公判調書参照)によると、原判決が被告人の主張を容れた弁第一号証関係の五口の偽名定期預金のほかに、原判決が被告人の主張を排斥した弁第二号証関係の三口の偽名定期預金も日野市子が預金し、その死後被告人夫婦が遺産相続していたものであることが認められる。

ただ原審は弁第二号証関係について証人久保勝則の記憶のみによるもので確実性に疑問があるとしているが、同証人の証言が厳存する以上、弁第一号証関係について被告人の主張を容れるならば当然弁第二号証関係についても同じように被告人の主張を容れるべきで、少くとも弁第二号証関係について検察官の主張に重大な疑問が存する限り、さきに総論部分で述べたとおり「疑わしきは罰せず」刑事裁判の鉄則に基づき検察官の主張を排斥すべきで、この点持込定期預金三口八〇万円とその利息四万三、三九九円の存在を認めなかつた原判決は破棄を免れないものと思料する。

3. 宝石について

原判決は検察官の主張する昭和四二年度分の簿外資金による一三〇万円の宝石購入を認めこれを同年度の所得としているが、被告人は宝石購入の事実を否定しており、右一三〇万円は昭和四二年度分の所得額から控除すべきである。

この件についても、被告人の原審公判廷における詳しい陳述および上申書(原審第三〇回公判調書参照)によつて明らかなとおり、被告人は検察官の主張するオパールプラチナ台指輪・パールネツクレスなど五点の宝石を購入した事実は全くなく、妻の日野八重子も原審公判廷において購入の事実を否定し、亡くなつた母(日野市子)から貰つたものである旨そのいきさつについて詳しく証言(原審第二二回公判調書参照)しており、被告人としては国税局の木島査察官から解約した銀行預金の使途などを厳しく追及され、記憶にないため返事に困つた末、同査察官の一方的な誘導と押しつけに屈してしまい、窮余の策として見知らぬ外交員風の男から一三〇万円で購入した旨偽りの供述をしたもので、これらの事情に徴すると、昭和四二年分の簿外資金による一三〇万円の宝石購入の事実は架空であり、したがつて一三〇万円を同年度分の所得額から控除しなかつた原判決は破棄を免れないものと思料する。

4. 架空支払(昭和四〇年度分永野昇関係一〇〇万円・大木与一関係五〇万円)、自宅建築費(昭和四〇年度分一〇七万七、四九七円)、蘭観音竹(昭和四二年度分七四九万円)について

原判決は被告人が原審で具体的に金額を挙げ詳細に事情を説明して所得額から控除すべきことを強調している右の各事実について、いづれも被告人の主張を排斥しているが、原審において取調ずみの各証拠によると検察官の主張には幾多の矛盾と誤りが存し、いずれも国税局査察官の一方的な予断推測に基づく強引な押しつけによるものであり、きわめて疑問の鉄則に徴し誤判というべく、破棄を免れないものと思料する。

第二、量刑不当

原審は被告人を懲役八月二年間執行猶予および罰金六〇〇万円に処する旨の判決を言い渡したが、以下述べる特段の事情を参酌のうえ、原判決を破棄しさらに寛大な裁判を賜わりたい。

1. 被告人は所得税を完納している。

すなわち、被告人は本件で問題となつた昭和四〇年度分から昭和四二年度分までの三年度分の所得税について、それぞれ本税は勿論重加算税延滞税など合計三、四三四万円を完納しており(原審記録第七分冊・呉税務署長作成の納税証明書三通参照)、このことは財産犯における被害弁償と同じく情状として格別のご配慮を賜わりたい。

2. 被告人は実質的にみて本件遊技場経営の実権を持つておらず、また本件過少申告について事情を知らなかつたものである。

被告人の原審公判廷における陳述および昭和四八年一二月一四日付上申書(原審第三〇回公判調書参照)並びに証人日野八重子の原審公判廷における証言(原審第二四回第二六回公判調書参照)によつて明らかなとおり、被告人は本件遊技場オアシスの経営について単なる営業名義人にすぎず、経理事務は勿論取引銀行との接渉や預金の内容(とくにいわゆる裏預金、偽名預金など)について関与しておらず、一切は被告人の妻(日野八重子)が独断で処理して来ており、税務申告も妻が一人で税理士と接渉し、被告人は申告自体を見ておらず、したがつて申告額も知らない実情であつた。

このような変則的な実態になつていたのは、被告人自身に会計経理の知識がなく、また婿養子で頭が上がらなかつたためであり、さらに被告人の妻がしつかりしていて一切委せていたためであり、これらの実情は本件の量刑上とくにご参酌願いたい。

以上

○昭和五〇年(う)第二五四号

控訴趣意書

刑事被告人 日野義行

右者所得税法違反被告事件につき昭和五〇年九月二九日広島地方裁判所に於て言渡された判決に対する控訴趣意書左記の通り提出いたします。

昭和五一年三月二六日

弁護人 泰野楠雄

広島高等裁判所一部 御中

一、原判決は次の諸点について理由不備事実誤認の違法があるので改めて詳細なる御検討を賜りたい。

本件脱税事件摘発の直接の端緒となつたのは被告人の妻日野八重子の母イチ子と其叔父日野喜助との間に於ける金銭貸借に関連することにあつたのであつて被告人名義の遊技場オアシスに直接関連するものではなかつたので、所謂派生的端緒によつて摘発が行われることになつたのである。被告人の遊技場経営の実態は多くの一般同業者に比較すれば、むしろ堅実の方であつて暴力団などの背後関係に依存することもなく、その家系は呉市阿賀町の土着筋でもありこれ迄に警察当局から表彰されたこともあるし、又社会福祉事業にも寄与している等の善行もあるので蓄財の執念に燃えて脱税をたくらんだものではない。

被告人が経営する遊技場は妻八重子の母親イチ子の叔夫日野善助の資産援助を受けて経営していた呉市阿賀町所在の遊技場及びイチ子が善助の出金により購入した土地建物を基礎にして発足した呉市の遊技場オアシスをイチ子が死亡後その経営を承継することになつたものであつて日野善助との関係は近親者の関係であると同時に資産関係の上に於て極めて密接なる関係にある。

二、弁護人は被告人のために被告人の昭和四〇年度分の営業所得額の中所謂持込現金七〇〇万円については課税対象とすべきものではないことを詳細に論述したが原審に於てはこの所論を採用されなかつたのであるが、この点については前述の被告人の遊技場経営の実態に関しては日野善助の証言もあるがなお立証及び説明が十分尽されていなかつた為に被告人のために有利な判断を受けることが出来なかつたものである。

日野善助がイチ子のために多額の出資をしていたこと、その出資の返済についてはしばしば交渉が持たれて居り又、度々分割払が為されて居たこと、その返済方法は銀行振込等の方法によらず、現金持参の方法によつて為されていたこと、イチ子死亡後は八重子が遺産相続を為し遊技場経営を承継したから八重子も善助に対する出資金の返済をしたこと、等は容易に察知出来るし又イチ子が生存中に善助に出資を返済し善助から遊技場経営の実態を譲り受けるための努力をしていたことも当然察知出来るのであるが、昭和三九年一二月一七日にイチ子が死亡する約一〇日前に人は七〇〇万円の現金入風呂敷包を持つて松山市に善助を訪問し、その受納方を要請したが、風呂敷包の大きさから善助が想像した金額をもつて善助が問題の営業権を譲渡しなければならなくなることを恐れて、これを受納しなかつた状況及びその結果イチ子は右七〇〇万円をそのまま持帰り八重子に渡し、八重子はこれを金庫に入れて保管していたが、イチ子死亡後、これを数回に分割して銀行に被告人名義又は架空名義の裏預金に預け入れ、その後被告人の預金として処理しているのが実情であるが、これが明らかに証明されなかつた。即わちこの七〇〇万円は昭和四〇年度以降の現金収入と見做すべきではなく所謂持込現金たる課税対象外の金員である。

前提に於て七〇〇万円入りの風呂敷包を被告人の金庫に格納し、後日これを分割して被告人の銀行裏預金に預入れたことを認定するとすれば結論的にはイチ子が善助方に一旦七〇〇万円入りの風呂敷包を持参したが善助が受納を拒んだのでイチ子が呉市に持帰つたと認めるのが妥当である。

三、被告人の妻八重子が所持する宝石の購入資金が被告人の所得より支出されて居り乍ら申告洩れになつているということが問題にされているが、この宝石はイチ子より八重子が貰い受けたものであつて、もとより其購入資金が被告人の収入より支出されたという筋合のものではない。被告人の収入より、それによつて購入されたとすればこの宝石付指輪の評価価格が明らかにされなければならないが、これが看過され弁護人の主張は採用されず被告人の所得が八重子所有のこの宝石は指輪に秘匿されているとして一三〇万円を脱税したと認定されたのであるが、この認定は誤つて居り真相をうがつていない。

四、被告人が蘭観音竹を購入してこれに所得を秘匿し脱税をはかつたという点について観音竹「東海錦」の取引に関して七〇〇万円が問題になつている。

被告人は観葉植物を弄ぶ趣味道楽を持つて居り又これを取扱う業者が存在し、高額の価格で観葉植物が取引されることも有り得ることであるけれども趣味として弄ぶ植物に所得を秘匿するということは科学的鑑定により適正公平なる価値判断をすれば兎も角漫然たる推定によりこの様な鉢植観葉植物に多額の所得を秘匿するということは常識的には考えられない。又時期的にしばしば価格の著しい変動があり高価に取扱われたものが一朝一夕にして無価値になる例も多いのである。

本件の場合に於ては被告人は観音竹「東海錦」を一鉢七〇〇万円で購入し脱税を図つたというのであるが被告人はこれを否認して居るばかりでなく、その売主側の業者たる多賀、大可、矢田部等と被告人との間の接触状況が必ずしも明白になつていないところから考察すると、むしろ被告人は夫等の相場師的思惑業者が取引によつて生ずる利益を脱税のために秘匿するための劃策をしていることに捲き込まれたことがうかがはれるのであつて、いはば素人たる被告人が業者に利用されたということである。

税務査察官が被告人が観葉植物「東海錦」を一鉢七〇〇万円で購入して居ると認定する根拠として、被告人が住友銀行呉支店等の架空名義預金から多額の金員の払戻しを受けて居る事実がある。これを見ても被告人が「東海錦」を七〇〇万円で購入し、よつてもつてこれに所得を隠匿したと認定したことは真相をうがつていない。

この点は原審に於ても弁護人が詳しく述べて居るが、被告人よりその実兄北川玉一に対する貸金二〇〇万円、被告人の友人山岡万吉に対する貸付金五〇〇万円、被告人より羽黒製機株式会社に対するパチンコ自動補給装置工事代金二〇〇万円等の存在は疑う餘地のない事実であつて、観葉植物を購入してこれに所得を秘匿するということはこの点から見ても有り得べからざることである。

五、被告人の経営する呉市阿賀町所在の遊技場及び呉オアシス(日野ホール)の従業員は現在約五〇名でその経営経理の実質は妻八重子が担当し、日々の収支計算は事務員が行つているが、銀行預金等については出入りの取引先銀行員に一任していたので架空名義預金が出来た事実もあるけれども現在に於ては強く自粛して居り、納税も極めて適正に行つている。被告人の長女は東京女子美術大学を、次女は山口芸術大学を卒業した後夫々結婚して居り三女及び長男は専修大学に在学中であつて夫婦生活も家庭的にも極めて円満健全である。

税法はいう迄もなく国の財政維持のため、国民の財産権保障と表裏一体の関係にあり、適正に課税が行われるためには疑わしきは課税せずとの基本原則が確立され又それが尊重せらるべきであり、この点については公正なる裁判に大いなる期待をかけるものである。持込現金七〇〇万円の存否の事実に関する認定、又観葉植物に所得を秘匿すること認定し、これを脱税額に加算するについては税務査察官が判断を誤つて居り又原審裁判所も審理不充分のため事実認定を誤り判決理由に齟齬を来たしたものである。

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